以上「月刊タイムス」に3回載せた記事をお見せしましたが、商法改正の昭和57年の翌年の新日鉄の株主総会で、私が警察・利権右翼が連携して入場を阻止した事に対して、抗議と、其の実態を世に知らしめそうとしてお堀に飛び込んだ事で、日本から精神病院をなくそうと運動していた私が、ミイラ取りがミイラになる様に、強制的に精神病院に入院させられてしまった。

これらの記事を書き各界に大量に配ったり、不正を働いた警察官等100人以上を懲戒処分・免職にした人権団体の評議員もしていた為、警察に恨まれ、この時以降、31年の間にでっち上げ逮捕は40回を超え、又その逮捕を正当化し、事実を隠ぺいする為に28回措置入院させられてきました。

(警察はその間私に喋られては困る事がどんどん増えて行き、社会的に抹殺すべく、でっち上げ情報をマスコミに流し、テレビ局も新聞社も1度として私に取材もしないでデマ報道をし続けてきました。)

昨年は日本の節目の年と思い、都議選・参議院選に立候補するつもりで4月19日の早朝には東京の倫理法人会の単会のモーニングセミナーの会場に挨拶に、又政財界の実力者に立候補の挨拶をしに行きましたが、行く先々で警察官・刑事が私を見張っていました。

 

その後築地市場で、六価クロム・鉛・ヒ素迄検出されている豊洲への移転の問題点に関して演説をして、総理大臣経験者・G氏の私と同じ門下生でもある現職大臣・外交評論家等外交に関しての実力者たちにアワビなどを購入して送ろうとしたところ、警察に身柄を不当に拘束されそうになり通路に在ったマグロ切包丁で威嚇しながら逃げようとしました。

新聞・インターネット・テレビでの放送は全くでたらめで、もし私が通路に在ったマグロ切包丁をつかまなかったら、私は人知れず、でっち上げ逮捕され、措置入院させられて、(精神病院に強制入院)闇に葬られたでしょう。

私が築地に入った段階で、袋の鼠であったのです。

日刊スポーツには「市場の人間は気が荒い逃げれる訳が無い。テーラー4台で包囲した。」と書かれていますが、それらの何人かは潜入捜査官でしょう。

その証拠に、東京都の私有地内の事なので、築地署にはこれに関しての調書は一切ありません。

築地市場内のガードマン会社にその調書を見に行ったところ、最後に私の首を絞めた人間と、1台のテーラーの運転手の名前等だけが書かれていて、最初の職員はその内容を筆記するのは構わないと言っていましたが、筆記しているとその上司が来て、筆記していた物は取り上げられてしまいました。

辯護士と相談して裁判にするべく2回目に行った時には、すべての欄が白紙になっている書類だけ見せられ、個人情報なので一切内容は教えられないと言われました。

私が刃渡り70センチのマグロ切包丁を持っているにも拘らずひるむことなくテーラーを私の車にぶつけてきたのは潜入捜査官に間違いありません。

私もクラクションを鳴らし、車を人ごみの方へ走らせれば逃げ切れたでしょう。

でもそれは事故につながる可能性があったので私がそれを敢て避けたのです。

警察官は私に手錠を嵌めるとどこかに行ってしまい、私は外人観光客なども大勢混じっている野次馬にさらされ、皆携帯電話で写真、動画を撮っていました。

築地の人達ももしその背景が解っていれば、私が逃げる事に協力した事でしょう。

 

私はその後、警察で取り調べられる前に、銀座の精神科のクリニックに連れて行かれ、精神科医の診察を受けました。

私は何時ものごとく、措置入院させられると思い、「良く睡眠は取れている。」等、極めて心身ともに健康な状態である事を強調しました。

しかし、後で聞いてみた処、精神科医には私がマグロ切包丁を持ったことなどは一切医師に伝えてなく、40数回のでっち上げ逮捕で初めて起訴できると判断して、医師には「責任能力がある。」との診断書を書かせることが目的だと知らされました。

筑地署で2回取り調べを受けました。

2回ともサインをする時に、全くしていない質問が書かれていて、当然私はそれに応えていないのに適当に書かれていたので、その回答を私が全部書き直しました。

別の刑事がこれをワープロで清書するように取調官に言っていましたが、2回の調書は没になり、結局調書は一切作成されずに、その後、築地署の留置場に入れられると思いきや、警視庁直属の湾岸警察の懲罰房に入れられ、激しい暴力を受け素っ裸で水を掛けられ部屋には、冷房を入れられ、心臓麻痺で殺されるかと思いました。取り調べも車椅子でなければいけないほどになっていました。20センチ以上のの痣が4か所全身痣だらけにされました。

最初の検事調べは5時間半ほどでしたが、全て事実のみを話しました。

容疑は「警察官を殺害の目的で、刃渡り70センチのマグロ切包丁で警察官の頭・首・肩に切り掛かった。」との「警察官殺害」との容疑。

おそらくこれが事実であれば求刑は10年以上でしょう。

私は検事に「私は小学校のころから剣道・居合を習っていましたので、警察官が30センチほどの警棒で防ごうとしても防げる訳が無く、簡単に致命傷を与えたでしょう。」「自分の身を守る為だけにした行為です。」と言いました。

其の時の取調べは全部録画されているので、検事が勝手に作文をする訳には行きません。

そして勾留が不適切である事を証明する為に「勾留開示請求」の手続きをして、4月30日に法廷が開かれました。

いままで何度やっても傍聴者はいませんでしたが、インターネット等で知ったのでしょう15人以上の人が傍聴に来ました。

私は車椅子でしかも鉛筆も握れないように拷問され、指にも湿布を撒いていて、5年前にダンプに後ろから追突されされ、3か所の病院で「今度車に追突されたら呼吸器が止まりますよ。」「後ろから『ワァ』と脅かされただけでも、転んだだけでも手がだらりとしたら一生寝たきりですよ』と言われていて、首にも湿布を貼っていて、傍聴席から見ていても痛々しかったと思います。

「私は住所がある事」「都議選・参議院選に立候補する気なので逃亡する訳が無い事」「過去の事実で何も隠す事は無い事」を主張して、勾留の理由が無い事を主張しました。

検事と裁判官は起訴する内容も、勾留する理由も無い事が傍聴者にもわかり、ネット等を全て公表されては困るので、焦り、あと10日以内で釈放するか、起訴するしかなく、時間稼ぎと、出来れば措置入院させこの逮捕が正当であった事にしたい為、その日の内に2か月間の鑑定留置を命じ、翌早朝まだ暗い内にフィルター・内側に鉄格子付きの車で立川拘置所に移送されました。

昔は措置入院で精神病院に移送される時は数キロメートルごとに警察官が配置され、私が奪還される事を防ごうとしていましたが、今は中の見えない車で早朝か夜暗くなてから移送するようになりました。

私は、湾岸署12日間と2か月の立川拘置所の間、不当に知人との面会・差し入れ・手紙等の発受の禁止をされ、弁護士以外に手紙を出せたのは3通だけで、車に積んであったお金や銀行カード・連絡手帳など、又自宅も家宅捜索がされたり、通帳・カード・住所録等もなどすべて押さえられ、知人に弁護士を通じても連絡できなくされました。

 

私は、築地での警察官を誣告罪で20億円、傷害事件で10億円の損害賠償。都議会議員選挙に立候補できなくされた事で選挙妨害で立川拘置所所長他関係者を100億円の損害賠償請求の訴訟を起こしました。印紙代は訴訟救助の制度を利用して、国に立て替えてもらう事にしました。

すると、すぐに検事から「殺人未遂の嫌疑なし。」との通知が来ました。

拘置所からは毎日何通でも法務大臣への直訴状が出せるので、私は『警察・検察・裁判所・拘置所ぐるみの立候補妨害行為が行われている。』との事を直訴しました。

すると法務大臣名で、「そのような事はない。」との返事が来ました。

法務大臣がそのように判断を下している訳ですから、裁判でいくら争っても1円の損害賠償も認められないでしょうから、印紙代1600数十万円を私が支払わなくてはならなくなるので、私は訴訟を棄却して貰い手数料だけ支払う事にしました。

また、警察官の誣告罪・傷害罪に関しては検事が私の主張を認めて、この事件が「警察官殺害未遂事件」で無く「警察官の私に対しての傷害事件」と言うことを認めた事で、もし、措置入院しても裁判は行われるので、警察・検察・裁判所は苦しい立場に立たされることになります。

私は、三浦和義がアメリカの拘置所で、自殺を装って殺されたようにはなりたくないので、この2件の訴訟も棄却して貰い、手数料だけ支払う事にしました。

それらの効果もあり、6月30日に鑑定留置は終わり、鑑定結果は精神病でも性格異常等でもないとの診断を下して貰い、7月1日に湾岸警察署に戻されました。

実を言うと、参議院選挙の立候補の用紙も弁護士に送って貰い、書類を作成して、選挙管理委員会に送付して貰う手続きを済ませていましたが、その書類は送付されていなく、湾岸警察署に持っていく事になりました。

拘置所の責任者は7月6日には釈放すると私に伝えました。

私は、どうしても参議院選は立候補したいと思い、辯護士から通帳から供託金の300万円は降ろせると通知を受けていたので、7月3日に弁護士に速達で立候補の手続きをして欲しいとの意思を伝えました。すると翌日弁護士が接見に来る前に、保健所みたいな処に連れて行かれ、人相の良くない精神科医2人に精神鑑定を受ける事になりました。

2か月の精神鑑定留置での鑑定で問題なしとされたものを敢て又精神鑑定する目的は、参議院選に立候補させない為です。

精神科医に「貴方は今日釈放されたらどうしますか。」と聞かれ、「参議院選に立候補します。」と言うと、医師は「貴方を立候補させる訳にはいかない。」と言って私は措置入院される事になりました。

医師がいみじくも言ったように、参議院選挙に立候補させない為の精神鑑定、措置入院なのです。

これは猪瀬知事の命令なので、出来たら都知事選の告示前に猪瀬基知事らを選挙妨害として訴訟を起こしたいと思っています。

 

この31年間の40回以上位のでっち上げ事件で、特にひどかった2件について書きます。

わずか3カ月の間に最初は『誘拐犯』次は『強盗致傷』でテレビで顔写真付きで全国報道されました。

最初の『誘拐犯』は、私が宝石の仕事もしていて、宝石商仲間の女社長がエステの会社も経営していました。御主人は看板屋の社長もしていて、寿司の板前50人以上抱えてる寿司屋のチェーン店の社長でした。彼らを暴力団・利権右翼・詐欺師集団がタッグを組んで、まず屋敷を不法占拠し、彼女の会社に入り込んだ右翼団体会長の弟が2000万円横領しました。寿司屋に不渡り手形を浴びせ、債権者会議で無理やりハンコを押させ、寿司屋のチェーン店を乗っ取ってしまいました。

これらは立派な刑事犯罪ですが、所轄の刑事は相手側に悪徳弁護士が付いているので、「民事不介入」と言って事件として扱おうとしませんでした。

この事にわれわれ堅気ばかりで何とかしようとしていました。

私が彼ら夫妻の一人っ子の4歳の男の子を保護する目的で預かり、中野駅前から「命がけで3・4日預かってもいいよ。」と母親に電話すると「どうしても今夜は子供と一緒に寝たい。」と言うので、連れて帰る事にしました。車を置いてある中野区役所に行こうとサンプラザの前を通ろうとした処、無線機を持っていた刑事8人に囲まれ「誘拐の現行犯」と言う事で逮捕されました。

その後警察署に連れて行かれ、調書にサインをしろと言われ、読んでみると、誰が読んでも誘拐したと言う内容の調書でした。私が「サインできない。」と言うと刑事係長は「サインしてもしなくてもこの書類が検察庁に行くのだから、同じことだ。サインしなければ別件も付けると言う様な事を言われましたが、私は納得できないのでサインはしませんでした。また「今回の事件は警視庁の特別機動班50人が出動したでかい山だった。」と言っていましたが、警察は相手を間違えているのか、警察も遣らない様な事を遣る人間が犯罪者よりもっと危険と思ってたのかもしれません。

勾留質問の裁判官は初めて女性で、否認した書類にサインする様に言われました。

私は、殴ってなく一方的に暴力を振われてもいつも20日間の勾留が付いてしまうので、

裁判官に「貴方は裁判官でしょう。容疑を肯定しても、否認しても自動的に勾留を付けるのなら、子供でもできる。警察が何もしないから、あの家族を根本的に助けようとしての行動だ。何故その事を解ろうとしないのか。」と言った処、5日間で釈放になった。

知り合いの刑事から、「本当に誘拐をしたなら営利が目的で無くとも最低5年は刑務所に行く事になる。」と言われました。

私は警察を釈放され直ぐ彼女の家に行きました。彼女は毎日私に面会に来ていたのに警察は私に合わせようとしなく、私には彼女が面会に来た事も告げてませんでした。

その家に時計関係の新聞社の社長と言う人が居ましたが、何か彼女の態度がおかしかったのですが、数日後彼から電話で「拳銃が欲しいので売って呉れないか。」と言われました。

彼は潜入捜査官だったのです。御主人は警察に騙されて被害届の様なものを書かされたみたいでしたが、後日事実を聞いてびっくりしていました。

この件も、私が個別に話した人以外のほとんどの人が私が「誘拐事件」を起こす様な悪人と今でも思って居るでしょう。この原稿を読まれて、少しでも多くの人達そにの認識を変えて欲しいと思います。

この事件の数年後に、テレビで警視庁の刑事が「今年1年誘拐事件が1700件ほどありました。男の子でも女の子でもセックスのおもちゃとして、臓器売買のドナーとしてコンテナに詰めて船で海外に運んでいる秘密組織がある。」と言っていました。

おそらく、その様な秘密組織は壊滅できる自信があるので、発表したのでしょうが、この数字は片親が子供を連れ去る事も含まれてはいますが、悪質なものも数多くあると思います。しかし、犯人が捕まっても捕まらなくても、テレビで放送される事はあまりないと思います。

しかるに、何故私がその日の内に顔写真付きで全国報道されるかと言えば、警察以外で警察以上のようなことをする事は許さない。社会的に抹殺するとの意思を感じます。

でも全ての人が専門職化され、枠にはめられている状態こそ危険だと思います。

其れは議会に対しても言えることで、前例踏襲・毎年予算を必要でもないのに使い切ると言うような役所の在り方を根本的に変えられるのは私のよな人間だと自負してもいます。

 

この事件の3か月後に私は埼玉農協の前で、農協の理事が返せる当てのない人間に140億円融資した事に対して右翼団体が抗議の街宣行動をしていたのに出くわしました。

すごくうまい演説で私は彼等の後ろに車を止めて聞いていました。内心裏では恐喝などしているのだろうと思っていた。(実際、その後私が不当に浦和拘置所の鑑定留置された時、新聞でこの団体の構成員が「恐喝」で逮捕された記事が載っていて、その後この団体は解散させられた。)

この時農協に雇われて、埼玉一気が強いと言われていると後で聞かされた女性弁護士M

この街宣活動の写真を撮っていた。私も撮られてしまったので、私は車を降りてMに「もし警察などに提出するのなら私は関係ないので省いてくれるように」と頼もうと思い近づいた処、彼女は私を右翼団体の仲間と勘違いして、足を一歩前に踏み出し、『私辯護士よ。』といって、彼女の肘で私をど突いた。そして、くるりと背を向けてその場を去ろうとした。

私は話し合おうとして、彼女のカメラを取り上げた。

しかし、最初からど突くような人だから冷静に話し合うと言う訳では無く、両手を上げて私に掛かってきた。私は一歩後ずさりしながら肘で顔を防御した。彼女は其の腕に自分からぶつかりその場に倒れた。下はコンクリートであるから痛かったと思う。

私は少林寺拳法を少しかじっていて、あくまで顔を防御する為であり、機動隊がデモ隊にジュラルミンの盾を前面に押し出し当てたら暴行になるでしょうが、もし盾を引いている状態でデモ隊がぶつかってきて倒れてもそれはデモ隊に対して暴行にはならないのと同じことだと言えます。

彼女は倒れた後もなおも起き上がって私に掛かってこようとするので、私は顔などを引っかかれるか、其れを防ぐためにはけりを入れるしかない状態であったので、すぐさま車の中に避難して、ドアをロックしました。

彼女は「警察」とつぶやきながら農協の中に消えて行きました。

私は警察がくるまで車で待っていようと思っていましたが、街宣活動をしていた人のリーダー格の人が、彼等の管轄所の刑事らを伴って街宣活動をしているのに地元の警察をよばれる事によって、彼等の街宣活動に支障が起きるであろうと思ったのでしょう、私に怒鳴っていました。私はこの場に居る訳にはいかないと思い、すぐ近くの浦和署に行き、2階に行き、警察官に、「今被害届が出されるかもしれないけど、誤解ですから何か有ったら連絡して貰えばすぐ出頭します。」と言って、持ち去ってきてしまったカメラと私の名刺を置いて1階に降りました。そのまますぐ帰ってしまえばよかったのですが、入り口の椅子に太った警察官が苦しそうに制服のボタンをはずして座っていました。

私は彼がどんな水を飲んでいるか等健康相談に乗っていましたが、今警察官が着たらやばいなと待っていると、先ほどカメラなど渡した屈強な警察官と私服の刑事が階段を駆け下りて来て、「根上緊急逮捕。」と言うなり、私を2人で押さえて2階に無理やり連れて行こうとしました。私は「逃げませんから」と必死になった言いましたが、隙を見せれば逃げられると思ってか、私も彼等も手すりや壁にぶつかりながら、2階の取調室に投げ込まれました。そしてすかさず、「お前カメラを奪う目的で農協に行っただろう。」と言い、その後全部で15・6人の刑事が部屋に入れ替わり入りながら、私を殴ったり蹴っ飛ばしました。

刑事達も私が右翼団体の仲間と勘違いして、彼等のバックが暴力団と言うこともあるので、一般人の様な人権などないと言う意識なのでしょう。

この事件も当日テレビで顔写真付きで「強盗致傷」の容疑で逮捕されたと全国報道されたと聞いています。丁度坂本弁護士家族がオームに殺された直後だったので、今度は右翼団体が弁護士に暴力を振ったと言うことで、埼玉弁護士会会長が抗議声明を出したとも聞きました。

検事は私の話を聞いて、殴っていない事が解ったのですが、Mは誣告罪で弁護士資格剥奪、弁護士会会長も名誉棄損で損害賠償が発生し、刑事達は特別公務員陵虐罪で署長迄責任が及ぶことになるので、釈放する事も、取り調べて無罪が明らかにする事も出来ないので、20日間の勾留は付けたものの、一切取り調べはしませんでした。

逮捕後18日目に3か月の鑑定留置になり、その日に初めて病院に連れて行かれ、全身をレントゲンを撮り、全身に湿布を貼ってもらう事になり、いたみ止めの薬を貰い、すぐに浦和拘置所に行きました。拘置所では外部からの薬は認められないと言うことで、貼ったばかりの湿布は皆はがされ、痛み止めの薬も没収されました。

拘置所で一人しかいない医師が「どうした。」と言うので、「殴っても居ないのに殴った事にされ逮捕され、その直後刑事達に集団暴行を受けた。」と言うと、その医師は「それ妄想だから。」と言って部屋を出て行った。

私は逮捕された事も、鑑定留置も納得できないので、総理大臣・法務大臣・官房長官・各政党の党首などに直訴状を出そうとしたが、すぐに手紙の発信を禁じられたので、電報を打つことにした。電報を書く時間は5分くらいしか与えられないので、沢山用紙を貰っておいて、隠し持ち他の時間に書いて、1通5000円以上も掛けて出していました。

私は勾留中あばれたり、特に大きな声を出したりはしませんでしたが、警察も遣ったから、自分たちも遣ろうと思ったのか、私は歯を3本ろっ骨を3・4本折られました。

4本とはレントゲンを撮ってくれないので解からないのですが、医師はほっといても其の内付くからとレントゲンを撮って貰えませんでした。

ただ、背中の処がはれ上がり、時計が無いのではっきりした時間は解かりませんが、壁に寄りかかっている時は痛さを感じません。しかし、寝る時と起きる時はあまりの痛さに50分ほど掛かる感じで、其れが50日ほど続きました。

結果的に、3カ月も鑑定のための勾留であったのに、鑑定は1度もされずに、事件の事の取り調べも一切なく、3か月後にまた浦和署に戻され、暫くしてやっと浦和署の刑事ら4人が立ち会って検事調べがはじめてありました。

其れは調書を書くでもなく、検事が開口一番「お前が拳で殴ってカメラを奪ったのは証拠証人より明かであるので、もし殴ってないと嘘を言うなら3年以上のの懲役に行かすし、殴っているのに殴っていないと思っているならそれは病気だから精神病院に入れる。」と言い、

私は「死刑にしろ。俺の仲間が貴方達を絶対に許さないから。」と言い、結果措置入院させられてしまいました。

病院から出てから、これらの事を訴えようと、歯科医院3か所に行きましたが、相手が拘置所の看守と言うと、どこの病院も診断書を書いてくれませんでした。

又肋骨がおられた事も、拘置所に入れられる直前にレントゲンを撮った病院に行けば、解ると思い行きましたが、白っぽいレントゲンを私に見せて、医師は「解らない。」と言うし、相談した弁護士が全員受けてくれないと言うので、訴える事はあきらめました。

 

 

以上の他の事もこの後連載しますので、また御読みください。

ただ、私は学校の教育が本当に子どもの事を考える人だけで行われるなら、いじめや自殺は無くなり、全ての子供たちが病気もしないで、各自の能力を生かし、天才になれると思うし、医療に本当に人を救いたい人だけが関われば、病気は無くなり病院・製薬会社などほとんどいらない社会が実現すると思いますし、本当に正義感のある人だけが警察官・検事・裁判官になっていれば、犯罪の無い、刑務所の必要ない社会の実現は少なくとも日本だけは可能だと思います。

私は学生時代から、ひまがあれば裁判を傍聴していた時期もあり、犯罪は社会の縮図であり、本来人が人を裁く事などできないし、今の在り方では犯罪はどんどん増えていく事になり、「罪を憎んで人を憎まず。」みんなで語り合って、理解し合うことが大事で、もしどうしても社会的に許せない人間であり、反省もしないのであれば、今の様な3食昼寝付きの拘置所の在り方に象徴されるように、加害者の人権が守られ過ぎているので、反省するまで海外の刑務所に委託する事を考えたらいいと思います。

政治とは人々の営みのすべてを司る事です。

其れが、利権や、利益代表で駆け引きが行われている処に問題があり、其れが築地市場の汚染された豊洲に移転される事や、無計画に高層ビルが乱立している東京の都市計画に象徴されますが、私が都知事になればまず、都議会を解散して、各議員の素性を洗い出します。

猪瀬さんのことが明るみにされなければ全ての議員は徳洲会病院の事に関して協力していたはずですし、石原都政の時にはもっと大規模のな汚職があったはずです。

そのような事も全部洗いざらい公にして、都議会はもちろん日本の各自治体の議員・国会議員も国民のために働く人以外はなれない仕組みを作らなければならないと思います。