プロフィール

 絶えず内容を更新しますので随時ご覧ください。

 

根上 隆(革命家) 

 

昭和48年日大生産工学部土木工学科卒業

 

昭和48年東京都入庁(中野区教育委員会施設課・建設部公園緑地課に出向)

 

昭和61年都庁退職

 

同年中野区長選立候補

 

 告示の場で政治団体の候補者らに集団暴行を受け、腰の骨にひびが入る重傷を負わせられる。報道陣が多数いたにも拘らず、私が「カメラ回せ」と叫んだが、団体員10数名が居るので、報道陣は怖がって構えていたカメラを皆下げてしまい、駆け付けた警察官も事情聴取もせずに、この立候補者が立候補者を告示の場で重症の怪我をさせると言う前代未聞の事件の事は一切報道もされなかった。

 

 また数日後の選挙期間中に私が車で信号待ちしていると、車の両側とフロントガラスが割られ、襲われる事を覚悟していた私が被っていたヘルメットのプラスチック製の風除けを割られたフロントからはぎ取られ、そのあたりに工事現場に有ったバリケード(鉄製の板に会社名などが書かれ、両脇がV型のパイプが付けれれている物)で顔面目掛けた何度も叩き付けられた。

 

 幸いにもヘルメットで全部避ける事が出来たが、その後私は助手席にバリケードを突っ込まれたまま、反対車線を走行したり、信号を全部無視して、命からがら区役所まで逃げた。

 

 区役所前に着いてロータリーに入る為ハンドルを切った時「助かった。」との安堵感で車はそのまま役所の脇の出入り口の風除けガラスに突っ込んでしまった。

 

 この事を新聞・テレビは『今日区長候補が交通事故を起こしてパトカーに追われ、逃げ場を無くして役所に突っ込んだ。警察の調べに対して『俺は右翼だ。』と言った内容の報道をした。

 

これによって、市民団体のリーダーや議員が「都庁や中野区役所の在り方を根本的に変えられるには根上さんしかいない。」と言われていて、翌年の都議はトップ当選させると意気込んでいた人も、翌年の区議選の直前には「もう中野区で根上さんの名前を知っている人は誰も投票しません。」と言うようになるほどになり、何も行政・政治の事を知らない若い女性でも格好いい事を主張すれば4・500票は取れるのに、80票と最下位でした。

 

その後も度重なるでっち上げ逮捕・マスコミのデマ報道で、支持して居た人達に一々説明できないままに、殆どの支持者が誤解のまま反支持になって行きました。

 

このような事になった原因は警察の暴力団の部所がまるで暴力団の下部組織の様になっている事実を検事に直訴したからです。

 

 

詳しくは又いずれ

 

【わずか3か月の間に「誘拐犯』『強盗致傷」ででっち上げ逮捕されテレビで顔写真付きで全国報道された。】

 

私が不当にも全く事実にない事ででっち上げ逮捕を40回以上もされた事は、今回都知事繊維立候補しての記者会見等で述べてきましたが、わずか3か月ほどの間に2回でっち上げ逮捕され、2回ともテレビで顔写真付きで報道された件について事実のみをお話しします。

 

 

 

私は一時宝石商をしていて、宝石商仲間の女性社長Aさんがいました。

 

彼女はエステの会社も経営していて、御主人は看板屋の社長もしていて、寿司の板前50人ほど抱えている寿司屋のチェーン店の社長をしていました。

 

2人共多才な人達でしたが、2人とも福島県の出身で、人が良い人でした。

 

彼等を暴力団・利権右翼・詐欺師集団がタッグを組んで襲ったのです。

 

彼等の屋敷を利権右翼団体員が彼等のピアノなど家財道具を売り払い不法占拠し、彼女のエステの会社に入り込んだ利権右翼団体会長の弟は1度に2000万円横領しました。

 

また御主人のすし屋には不渡り手形を連発して、債権者会議に乗り込んで、無理やりハンコを押させ、寿司屋のチェーン店を乗っ取ってしまいました。

 

これらの事は皆刑事事件であるのに、所轄署の担当刑事は相手側には悪徳弁護士も付いている為、下手に関わると「違法捜査」で訴えられ兼ねないので、「民事不介入」と言って、一切動こうとしませんで3した。

 

 

 

それで私は堅気の仲間だけで何とかしようと考えていましたが、彼ら夫婦の幼稚園生の一人息子を避難させました。

 

彼女に電話して「34日命懸けで息子さんを預かってもいいよ。」と言うと今夜どうしても息子と一緒に寝たいの。」と言うので、連れて帰ろうと中野区役所の駐車場に車を置いてあったので、中野サンプラザの前を通ろうとすると、無線機を持った刑事8人に囲まれ、「誘拐犯」の現行犯として逮捕されてしまいました。

 

後で所轄署の刑事に聞いたのですが、この時警視庁の特別機動捜査班50人が出動した「でかい山だった。」そうです。電話もすべて盗聴されていて、私の動きはすべて把握したうえで、子供を送り返すという段階で、間髪を入れずに逮捕した事になります。

 

 

 

所轄署の係長が調書を作成し私に見せサインをするように言いましたが、調書の内容は誰が読んでも誘拐犯であると言う内容でした。

 

私ががサインできないと言うと係長は「サインしてもサインしなくてもこの書類が検察庁に行くので同じだ。もしサインしないのなら別件が付くぞ。」と言いました。

 

私はあくまで納得できない書類にはサインできないと言って、サインしませんでした。

 

勾留質問の時に、初めて女性の裁判官でした。

 

容疑内容を否認する書類にサインするように言うので、私はいつも容疑事実が全くなく容疑を否認しても20日間の勾留が自動的に付けられるので、私は裁判官に「容疑者が容疑事実を肯定しようが否認しようが、自動的に20日間の勾留を付けるのなら小学生でもできる。私は警察があの家族を見殺しにして何もしようとしないので、何とか助けようとしていたのだ。貴方は裁判官でしょう。その事実・信実をはっきりと認識・把握して下さい。」と言いました。

 

警視庁の知り合いの刑事は「営利が目的で無くとも誘拐は最低5年の懲役になる。」と言っていましたが、結果私は5日間の勾留で釈放になりました。

 

しかし、テレビで「誘拐犯」と報道された事で、私を政治的に支持していてくれた人達のほとんどが今だにそのニュースを信じているのです。

 

この事件の数年後に警視庁の刑事がテレビで「この1年間に誘拐事件が1700件以上あった。」と述べていました。

 

別居している片親、離婚している片親が子供を連れていく事も、この誘拐事件の件数に入りますが、男の子でも女の子でもセックスのおもちゃとして・臓器売買の対象者としてコンテナに詰めて海外に運んで行く秘密組織があるとも言っていました。

 

私達はテレビでそれらの誘拐事件の犯人が、捕まっても捕まらなくてもニュースで見る事はほとんどありません。

 

しかるに何故、私の事を誘拐犯としてテレビで顔写真付きで全国報道させるかというと、警察は暴力団や利権右翼・詐欺師集団を所轄の警察も見て見ぬふりをしているのに、一般人がそれを何とかしようとする事・しようとする人間を暴力団・利権右翼・詐欺師集団より問題視し、社会的に抹殺しようと言う事だと思います。

 

犯罪者を取り締まる事が出来るのは警察だけで、一般人が何とかしようなどとは絶対に許さないという事でしょう。

 

日本がこんなに豊かなのに、10年以上も3万人以上の人が自殺していた事が続いていましたが、其の9割が経済的問題を抱えていたと言われています。

 

法的には破産という手続きがあり、収入の3分の1以上は法的には差押えされないとされていますし、最後は生活保護というセイフティネットもあるのに、このように自殺者が多いと言う事は、法律・警察では守られていない人たちが多くいると言う事では無いでしょうか。

 

刑事も所詮はサラリーマンだし、警察内部の事情もあり、正義を行使できない事もあると思います。

 

しかし、私のケースを見ても、警察の本質は社会悪を刑事以上に何とかしようとする人間、世直しをしようとする者を犯罪者以上に険性視する言う事で、でっち上げ逮捕し、デマ情報で社会的に抹殺しようと言う警察の意思を感じます。

 

所轄署から釈放され私はまっしぐらに、彼等の持って居るビルに行きました。

 

彼女は毎日私に面会に来ていたのに面会させられず、私にも彼女が面会に来ていた事は一切告げられませんでした。

 

其の時、子共も幼稚園から帰ってきていましたが、時計業界の新聞社の社長と言う人も居ましたが、彼女が今までになく子供を激しくしかるのでおかしいと思っていましたが、数日後彼から電話があり、「拳銃が好きなので、本物の拳銃が手に入らないか。」と電話がありました。彼は潜入捜査官だったのです。

 

其の後ご主人とも会って話しましたが、全く事実と違う事を聞かされて、被害届の様なものを書かされていたと言う事でした。

 

其の3カ月後私は政治結社Kと言う団体の街宣活動に出くわし、あまりにも演説がうまかったので聞いていました。埼玉農協の幹部が返せない知人に賄賂を貰って140億円の不正融資をしたと言う事を抗議していました。

 

農協に雇われた弁護士が盛んに写真を撮っていましたが、私も乗っていた車のナンバープレートも私自身も撮られていしまいました。

 

私は、弁護士のそばに行って、「K団体とは全く関係ないので、撮った写真を警察等に提出するなら私のは外してくれるように。」と頼みに行こうとしました。

 

弁護士は私をK団体の隊員と勘違いしたようで、私が近づくや、彼女は足を一歩前に踏み出して『私弁護士よ。』と言って私の胸に肘を叩き付け、くるりと私に背を向け農協の方に去ろうとしました。私は彼女と話し合おうと彼女の持っているカメラを取り上げましたが、近づいたただけで肘でど突くような人だから、爪を立て掛かってきました。

 

私は後に一歩下がりながら肘で顔を保護しそれを避けようとしました。

 

彼女は私の肘に自ら激しくぶつかり、その反作用で転んでしまいました。

 

痛かったと思います。下はコンクリートですから。

 

でも彼女は起き上がってなおも掛かってこようとしているので、私はそのまま顔を引っ掻かれるか、それを防ぐ為に彼女にけりを入れるしかない状態であったので、私はどちらもいやであったので、車の中へ逃げてドアをロックしました。

 

彼女は地元の警察を呼びに農協の方へ行きました。

 

私は地元の警察が来るまで、車の中に居て待っていようと思っていましたが、Kのリーダー格らしい者が、車から体を出して、私に盛んに抗議していました。

 

私はその場に警察が来るまでとどまっている事はまずいと思い、その場から数百メートル離れた浦和署に自ら行きました。

 

そして、2階に行くように言われ、其処で対応した警察官に「今、誤解されて被害届を出されるかもしれませんが、連絡されればすぐ出頭します。カメラは相手に返して下さい。」と言って私の名刺と持ってきたカメラをカウンターの上に置き、その場を後にしました。

 

警察署の出口近くの椅子に警察官が制服のボタンをはずして、顔から汗をびっしょり出して苦しそうにしていました。

 

私は彼にどんな水を飲んでいるかなど健康相談に乗っていましたが、内心「今警察が捕まえに来たらやばいな。」と思っていました。速やかにその場を去っていれば逮捕される事もその後の警察や拘置所での集団暴行でろっ骨を何本も折られるようなことにはならなかったでしょう。私は犯罪はしていないと言う意識があったのです。

 

2回から、「根上救急逮捕。」と大声で私服の刑事と警官が走って来ていきなり私にヘッドロックを掛けてきました。

 

私は逃げる気はないので、「逃げませんから。逃げませんから。」と必死に訴えていましたが、2人は私を無理矢理2階に連れて行こうとして、階段の手すりや壁にぶつけられながら2階の取調室に投げ込ました。

 

其の後、総勢15・6人と思われる刑事達がその部屋に交互に入って来ては「お前カメラを取る目的で農協に行っただろう。」と言って、私に言い訳を言う余裕も与えないほど、殴る蹴るを繰り返しました。

 

刑事達も弁護士と同様私をKの隊員と誤解しての緊急逮捕・その後の暴行だったのです。

 

後になり、その日の夜テレビで顔写真付きで「弁護士を拳で殴ってカメラを奪った」という「強盗致傷」の容疑で逮捕された事が全国に報道されたと聞きました。

 

オウムに坂本弁護士家族が殺された後だったので、埼玉弁護士会会長も『右翼が弁護士を殴った。』という事で抗議声明を出したそうです。

 

でもこの事はKの組織員に聞けば、すぐ誤解だとわかる事です。

 

私は彼等とは初めての面識ですし、Kと言う団体がある事自体知りませんでした。

 

検事は20日間の勾留を付けましたが、18日間一切取り調べをしませんでした。

 

取調べれば、相手の弁護士の誣告罪・刑事達の特別公務員暴行陵虐罪・弁護士連合会会長の名誉棄損罪が明らかにされてしまうからです。

 

釈放すればそれらの事で訴えられるだけでなく、不当逮捕・不当拘留でも訴えられる事です。

 

それで、警察・検察がした事は18日目に「3か月の鑑定留置」です。

 

その日初めて病院に連れていかれ、全身のレントゲンを撮って、刑事等に集団暴行された全身に湿布を初めて貼って貰い、痛み止めの薬も初めて貰いました。

 

しかし、其の20分後には拘置所に連れて行かれ、「外部からの薬は一切認めない。」と言われ、全身に貼って貰っていた湿布は全部はがされ、痛み止めも取り上げられました。

 

その後、拘置所に1人しかいない医師が「どうした。」と言うので、「殴っても居ないのに殴った事にされ、刑事達15・6人に集団暴行を受けました。」と言ったところ、医師は「それ妄想だから。」とだけ言って部屋を出て行きました。

 

 

私はこのような不当な扱いに対して、総理大臣、法務大臣、官房長官、各政党の党首に直訴状を書きました。

 

途中手紙を出す事を禁じられ、電報なら1日3通まで書けると言うので、用紙を配られてから5分後くらいに回収されるので、用紙をできるだけ沢山貰って、余った分をできるだけ隠し持ち、昼間に書いて、1通5・6000円の電報を出していました。

 

このように、この逮捕・拘留・鑑定留置のおかしさは政府の上層部に伝わったのですし、鑑定留置3か月の間に大学教授などの精神科医が10回ほど診察する訳ですから事実が明らかにされてしまいます。

 

結果的に3か月の間1度も鑑定はされませんでした。

 

運動の時に隣の運動室に居た人と少し話をしただけで、懲罰委員会に掛けられました。 

 

つづく